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なぜ遺品整理は進まなかったのか 2


母のお葬式の時 凄く泣けてきた。 自分の最初の家族が もう誰もいなくなってしまった訳だ。 兄妹もいない私は つまり 何かあっても もう 帰る家がないということだ。 でも 泣いていたのは そんな理由だけではなく 本当は 『もう、母の面倒みなくていいんだ』 という もの凄い安堵感から なぜか涙が ただただ溢れてきていたような そんな気がする。 目標をもって がむしゃらに突き進んでいるのとは違って 終わった時 なんの達成感も幸福感も得られないまま 介護は終わる。 心身共に疲れ果てた状態で それはプッツリ終わる。 そうなると 心にぽっかりと穴があいたような 虚脱感。 葬儀のあと しばらくは何も考えられなかった。 数か月後 今までの無理がたたったのか 小さいけれど手術をすることになった。 自分のことは 後回し後回しにしてきた ツケがきたわけだ。 そして それが終わると税金関係の始末。 相続は確か10か月以内。 さて ここまできてわかっていただけると思うのだか 亡くなって10か月の時まで 遺品整理に 一切、手を付けていなかった。 気持ちがすっぽ抜けてしまっていた というのもあるし 病気という事実もある。 うちは 借家ではなかったので すぐに家をどうこうしなければならない・・・ という切羽詰まった状況でもなかったから。 でも 何度か始めてみようと思い 母の部屋に行くことには行くのだ。 そこはどんなか。 どこもかしこも 亡くなってしまった人の帰りを待つ モノたちでイッパイだ。 ふと 母がまだいるのではないか… なんて思わせるほど 何にも変わっていない。 部屋もモノも 何も変わっていないのに いないのは人間である母だけ。 この部屋で母はどんな思いで暮らしていたのだろう、 幸せだったのだろうか、 寂しかったのだろうか、 ただ辛かったのだろうか、 色々思ったって 今更どうしようもないことなのだけど 時間が止まっているかのような その独特の雰囲気の中にいると とめどなく、そうゆう思いが 浮かんできてしまい 全く片付けられなかったのだ。 亡くなった人の 生きていた空間というのは 不思議な感じがする。 もうそこに その人はいないのに なんとなく 気配…というと怖いかな その人のまとっていたいた 雰囲気が 空気感が そこここに ふんわりと残っているように 私には感じられて… 思考停止してしまったのは 仕方ないように思えてくる。 いつもお付き合いくださりありがとうございます。


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